授業の最初に「本時のねらい」を板書すると教育効果が上がる?

昨年の二学期当初、学校長より新学期の確認事項と称するプリントが出ました。教育活動を節目で振り返り、反省を活かして次に進むのは大変よいことだと思います。

そのプリントに「全教科、授業の初めに「本時のねらい」を板書する。」という項目がありました。これ、前任校でも学校長が突然言い出したやり方なんですが、どこの研修会で広まったのでしょう。文科省とか教育ウンタラ研究所とかでしょうか、どこの学校に行っても言われることなんでしょうか。サンプルは二校だけですが女性校長が特に強硬に言うような気がしますから、女性校長の会ですかね…。

これって、授業者への戒めという効果しかないと思います。

最初に黒板に書くことで自分に念を押し、授業中にチラ見することで、「本時のねらい」からずれないようにする。貴重な授業時間に関係ない話を連発するようなタイプの教員へのささやかな対策としか思えません。

冷静に考えればわかることですが、生徒は教員が書いたときにしか板書を見ません。授業中に見るのは説明で指さされたところだけです。書いてあるだけでは、生徒に「本時のねらい」のことを考えさせる効果は全く期待できません。そんなに忘れやすいなら授業者の手のひらにでも「本時のねらい」を書けば良いのです。板書すること自体には意味はありません。

授業者が「ねらい」をもって授業を進める。生徒が見通しを持てる授業展開を工夫する。これって今まで通りに当たり前のことをやるだけです。黒板に「本時のねらい」が書いてあると生徒がそれを見て授業の見通しが立つとか本気で考えているのでしょうか。各教員が「本時のねらい」を書いたとか書かなかったなんてバカなことにこだわっても意味がありません。これを言い出した人も、きっと方便として「板書する」という言い方をしただけでしょう。まさか本気で「本時のねらい」を板書すると教育効果が上がるなんて考えているはずありません。授業者によっては「本時のねらい」を生徒に気づかせる形で授業を組み立てることだってあるのですから。

学校長が、すべての授業で教員に同じアプローチをさせる指示を出して、それに教職員が従うという図式は、学校長の虚栄心を満たすためとしか思えません。中にはそういう指示を出した方がよい教員もいるでしょうが、全員一律にやらせるというのは乱暴過ぎます。学校長が全教科についてそれほど造詣が深いのならば、教職員一人一人にアドバイスをすればいいだけです。何のために授業を見て回っているのでしょう。

良い授業をするためには教材研究をしっかりすしかありません。良い授業をするには、準備する時間の確保が不可欠なのです。研修以前の問題として、授業の中身を考える時間が足りていないから授業の質が向上しないのです。「本時のねらい」を念頭に置いて、授業計画を組み直すのならば夏休み前に指示を出すべきでしょう。夏休みしか大規模な仕込みを行うことはできませんから。

こういったくだらない指示は、真面目な教員を混乱させ、普通の教員に「本時のねらい」を形だけ板書させる効果しかありません。教員に良い授業をさせるために管理職ができることは、学校行事を精選して、授業の準備にあてる時間を確保することです。行事に優先順位をつけ、実施に無理がある行事を切り捨てることです。行事を切ると保護者のみなさんや、地域の方から苦情が寄せられるので、なかなかできることではありませんが、矢面に立って勇気ある決断をするのが学校長の仕事だと自分は思います。

「本時のねらい」を板書しないからといって勤評を下げないでください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です